文学の発信基地
2004年、台北市政府は「紀州庵」を重要文化財に指定しました。
2011年、旧紀州庵本館横に新たに新館が建てられたほか、台北市文化局が財団法人台湾文学発展基金会に経営権を委託し、「紀州庵文学の森」という名で文芸関連活動を行っています。2013年、台北市文化局が紀州庵の修復工程を始め、1年あたりをかけて、2014年5月25日、「紀州庵」が正式に開幕しました。
「紀州庵文学の森」は修復後の旧館のほかに、現在は3階建ての新館を中心に、今まで数千回以上の様々な文芸イベントを開催し、台北で文学の発信基地となります。
料亭支店「紀州庵」は、日本時代の1917年川端町にて平松家によって経営されていました。「紀州」という地名は、江戸時代の「紀州藩」です。現在の和歌山県にあたります。平松家が「紀州」と名付けたのは、故郷への思いからかもしれません。戦後の1950年代、「紀州庵」は公務員の宿舎となり、小説家王文興も少年時代をここで過ごしました。小説《家変》もここでの生活を基に書いたものです。
1996年、1998年の二度の大火災により、「紀州庵」の本館と別館はほぼ焼け落ち、元の日本式建築物は水漏れのする屋根と壊れた柱の「離れ」(現建物)のみが残りました。2002年末より、「台湾大学大学院建築・都市農村研究科」と「同安街文化の森促進会」、のちに「城南水岸文化協会」も加わり、この三つの共同努力により、最初はガジュマル保護の使命からスタートしました。その後、「紀州庵」とその周りの文学と歴史を保護する使命へと繋がりました。